第二次世界大戦を思う。当然という言い方は失礼にあたるかもしれないが、私は戦後生まれ。ゆえに戦時中のことは良く解っていない。だが戦争映画を見る度に、無意味な戦いの悲しさやむなしさを感じ得ない。最近で言えば「太平洋の奇跡」がそうだった。負け戦なのは分って要るが、戦いをやめる訳にはいかない。
鈴木亜紀アナウンサーが、映画のタイトルを北海道の奇跡と思わず言ってしまい会場が和んだところで、主演の豊さんとが登場しました。挨拶後、太平洋戦争を伝えるキャンペーンの一環として、知られざる戦争の歴史樺太引揚三船殉難事件についての朗読会を行いました。
札幌を中心に活動されている、俳優の三上勝由さんに、スライドショーを交えながら、朗読していただきました。樺太引揚三船殉難事件について…終戦から65年、戦争の記憶がどんどんと薄れて行く中、北海道民が忘れてはならない悲劇の歴史樺太引揚三船殉難事件。
それは、戦争終結から一週間後の昭和20年8月22日。樺太から小樽港に向かっていた引揚船3隻(小笠原丸第二新興丸泰東丸)が、留萌沖でソ連の潜水艦の攻撃を受け、沈没した事件です。
明治38年、日露戦争の勝利によって、日本は南樺太を獲得し、政府はここに40万人の日本人、主に北海道民を移住させました。こうした勢いづいている日本に対し、ソ連の反撃の機会が訪れたのは、それから40年後の昭和20年8月。アメリカの原爆投下によって日本の敗戦が決定的になった時、突如宣戦布告してきたのです。
ソ連はまず南樺太を奪還すべく、日本人居住地に侵攻し、さらに北海道の北半分も領土にしようともくろみました。8月9日から始まった樺太侵攻は、終戦の日を過ぎてもなおやむことなく、日本人の町は次々と焼き払われました。
政府はただちに引き揚げ命令を出し、人々は着の身着のまま港へ殺到しました。その数実に8万人。女性、子供、老人から順に船に乗船させ、引き揚げ作戦が開始されました。悲劇は、その引揚船に襲いかかったのです。
この記事は映画「太平洋の奇跡」http://www.taiheiyo-no-kiseki.jp/から一部引用しております。
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